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お知らせ

3月に入って、校門から体育館にかけての生け垣を刈り込んだところ、「昭和47年度卒業生 10年後の再会」という文字が刻まれたものが出てきました。昔は、卒業時に「タイムカプセル」として、作文や写真等を学校の敷地内に埋めることがありました。小学校を卒業した10年後に開けるはずだったのかもしれません。
今開けたら、「50年後の再会」となりますが・・・・・昭和47年度卒業の方からのご連絡をお待ちしています。
 
 

お知らせ

体育館前に、二宮金次郎像があります。
金次郎は、江戸時代に今の神奈川県で農民の子として生まれました。朝暗いうちから夜遅くまで、汗と泥にまみれて一生懸命働きました。また、勉強が好きで、余裕ができればわずかな時間も無駄にしないで勉強しました。一生を世の中の人のために捧げ、大飢饉のときには困っていた人たちのために働き、多くの人の命を救ったということです。
「歩きながら本を読むのは危険」ということで像が撤去された学校もあるようですが、「一生懸命努力する」ことは、是非お手本にしたいものです。
 
「大多喜小学校百年史」には、昭和19年に「二宮尊徳像供出、瀬戸焼のものに替える。」とあります。
この時の像が現在のものかどうかは定かではありませんが、100周年の1974年当時の写真にある像は、現在のもののようです。
 

お知らせ

職員室に、浅見喜舟先生が書かれた「碎啄同時」という書があります。

喜舟先生は、昭和30年代後半に、書き初めの指導で何回か来校されたことがあり、その御縁で書いていただいたようです。
「碎啄同時」(啐啄同時と書かれることが多いようですが)とは、卵がかえるとき、ひな鳥が卵の中から殻をつつくのに応じて母鳥が外から殻をつつくのが同時であることから、「学ぼうとする者と教え導く者の息が合って、相通じること」という意味を表しているそうです。
教員にとっては、常に心に留めておきたい言葉です。

この書は、木造だった旧校舎の職員室にも掲げられていました。(「大多喜小学校百年史」から)

このほかに、体育館には喜舟先生に書いていただいた校歌の額があります。

【浅見喜舟(1898~1984)】
明治31年1月5日、群馬県に生まれる。
千葉大学教授、書星会理事長、太玄会名誉会長、千葉県美術会会長、千葉県書道協会会長、日本書写技能検定協会会長、読売書法会名誉会員、全国大学書道学会会長を歴任する。
昭和59年逝去。
 

お知らせ

現在の校舎は、平成8年に建てられました。それ以前は、戦前に建てられた木造の校舎でした。
大多喜小学校百年史には、次のように記載されています。
「現校舎の新築落成は昭和十一年度であり、同年十月二十日に新築落成式が新講堂において盛大にとり行われた。」
校長室には、当時の上棟式の札が残されています。
 

  
  
 

お知らせ

昭和5年度卒業生の市原五郎さんのご家族から、「卒業記念寫眞帖」をご提供いただきました。
表紙の他に、「校舎 其ノ一」「校舎 其ノ二」「職員」「高等科第二學年男女卒業生」「尋常科第六學年男子卒業生」「尋常科第六學年女子卒業生」の6枚の写真で構成されています。
当時の校舎や、服装、人数等が分かる、貴重な資料です。
  

 

 
 

お知らせ

西條八十作詞、古関裕而作曲による校歌は、昭和40年(1965年)に制定されました。
この年の12月11日、古関裕而氏をお迎えして、講堂で校歌制定発表会と祝賀会が行われました。

校歌制定01.jpg  校歌制定02.jpg  校歌制定03.jpg  校歌制定04.jpg
 

お知らせ

大多喜小学校の創立は、明治7年(1874年)1月28日。
百周年の際には、「大多喜小学校百年史」の冊子がつくられ、百周年記念式典が催されました。
式典の中では、全校児童が大多喜小学校の歩みを呼びかけ形式で発表しました。
百周年記念式典 児童呼びかけ原稿.pdf

当時、在籍していた児童には、記念の文鎮が配られました。
裏面には、「創立百周年記念 大多喜町」と書かれています。
 
※学校には残っていなかったので、桜台 中村正紀様よりご提供いただきました。